お金を追っていたら洞の中へ

投資の勉強を始めたのは45歳を過ぎてからだった。

最初から今のような考え方だったわけではない。

当時の私は、お金を増やしたかった。

会社も辞めたかったし、誰かに見栄をはりたかったし、豪遊したかった。

繰り返すが、今だって増えたら嬉しいし、お金は好きだ。

ただ、当時はもっと直接的に稼ぎたかったし、野性的に使いたかった。

だから、FXを勉強し、米国株を調べ、チャートを眺め、トレード環境を整えた。

それなりの時間もお金も使った。

チャートの上がり下がりに一喜一憂し、メンタルも乱高下して…

まぁ~…、懐かしい話ですよ(笑)

結果だけ見れば、直接投資で大きく儲けもできなかったし、大損もしなかった。

ただ、勉強代は安くなかった。

まぁ、ちょっとした新車が買えるぐらいは行ったと思う。

それでも私は、その時間を無駄だったとは思っていない。

投資から始まった金融世界への興味

投資の勉強をしていたつもりだったが、実際にはお金の勉強をしていたのだと思う。

複利とは何か。

手数料とは何か。

借金とは、

保険とは、

株式とは、

国債とは…

金融機関は何によって利益を生み出しているのか。

そもそも「お金っていったい何なんだ?」

そんなことを一つずつ学んでいくうちに、見える景色そのものが変わっていった。

例えば住宅ローン一つ取ってもそうだ。

投資を学ぶ前の私は、ローンを返す人だった。

少々金利が高くたって、「有名銀行で借りられる俺」というブランド志向すらあった。

今考えると、かなりやばい…

学んだ後の私は、金利を考え、条件を比較し、交渉し、資産全体の中で判断するようになった。

投資で得た利益よりも、そうした知識の方がよほど大きな価値を持っていたように思う。

だから私は、「投資で儲かった」という感覚が少し薄い。

むしろ「投資を勉強したことで人生全体の収支が改善した」という感覚の方が近い。

あれ? おもってたんと違う…

面白いことに、色々学んだ結果、私はとても退屈な場所へたどり着いた。

「低コストのインデックスファンドを、長期間積み立てる」

投資系の話題が好きな人からすると、拍子抜けする結論かもしれない。

実際、投機主体で動いていた自分が、まさかここに落ち着く未来なんて想像できなかった(笑)

もっと面白い方法があるのではないか?

もっと効率よく増やせる方法があるのではないか?

でも、聖杯なんて存在しないというリアリズムもあって。

まぁ、まだ見ぬ世界は無限に広がっているので興味は持ち続けようと思ってるが、それらを一通り眺めた上で、結局ここが自分には一番合っていると思うようになった。

なぜなら、私はお金を増やすために生きているわけでは無いことに気付いてしまったから。

投資は好きだが、投資そのものを趣味にしたいわけではない。

毎日相場を追いかけたいわけでもない。

できることなら、放っておきたい。

放っておいて、気付いたら少しずつ資産が積み上がっている。

私が欲しいのは、どうやら「そっちの世界」だったらしい。

これは好みの問題だ。

辛い食べ物が大好きな人もいれば、奥深い出汁の香りが好きな人もいる。

どちらが良いとか悪いとかじゃない。

刺激的な投資がお好きな人は、それをすればいい。

投資と銀行

投資というと、初期の頃は銀行の横を素通りするのは難しい。

社会的な信頼やら、付き合いやらで避けがたい事実もある。

世の中には銀行を悪者にする人もいる。

「高い手数料の商品を売られた。」

「損をした。」「騙された。」

そんな話もよく目にする。

気持ちは分からなくもない。

だが、私は少し違う見方をしている。

だって、銀行は慈善事業をしている訳じゃない。

利益を上げなければ組織は続かない。

大勢の行員を抱え、多くの店舗を維持し、サービスを提供していく以上、そのための収益が必要になる。

私達の預金を管理し、出し入れするにもコストは掛るのだ。

そう考えれば、手数料の高い商品が存在することも、ある意味では自然なこと。

もちろん、それを買うかどうかは別の話である。

銀行に押し付けられるのではない。

結局お金を支払う意思は、支払う側が下しているのだ。

全ての責任はこちら側にある。

だから私は学ぶ。

そして、自分で選ぶ。

誰かを責めるより、その方がずっと自分の人生に対して誠実だと思うから。

暮らしは暮らし、お金はお金

振り返ってみると、私は投資の勉強を通して、お金の増やし方よりも「お金との距離感」を学んだのかもしれない。

お金は大切だ。

増えたら素直に嬉しい。

できることならたくさん欲しい。

だが、お金のために心をすり減らしたいとは思わない。

人生の主役は、お金ではなく自分の暮らしだからだ。

だから私は今日も、派手な夢を見ながら、地味な積み立てを続けている。

案外、そのぐらいがちょうどいいと思っている。