最近、自分の中にちょっとした違和感がある。
仕事は普通に進んでいる。
歌の練習も続いているし、ブログも書いているし、読書も楽しめている。
特に何か大きな問題があるわけではない。
それなのに、どこか昔とは違う感覚がある。
年齢のせいかもしれない。
50代に入ってから、自分の変化を以前より意識するようになった。
身体の変化もそうだが、それ以上に気になっているのは「学び」に対する変化だ。
昔好きだった学び
若い頃は資格試験のような学びが好きだった。
知識を増やし、それを整理し、体系立てていく。
覚えたことが増えていく実感もあった。
努力すれば結果がついてくる感覚があり、それが学ぶこと自体の楽しさにもなっていた。
ところが最近は少し違う。
少し前にFP2級資格取得の勉強をしようと思ったことがある。
内容に興味がないわけではない。
むしろ実生活にも役立つ。
それでも、どうにも力が入らなかった。
今もテキストは机の横に置いてある。
「無理をしないと続かない」という感覚があった。
難しくて手に負えないわけでもない。
ただ、以前のような楽しさが見つからなかった。
その一方で、なかなか上達しない歌の練習は続いている。
ブログも続いている。
読書も続いている。
サイドビジネスのための勉強や資料収集も続いている。
不思議なことに、こちらにはあまり努力している感覚がない。
記憶力は落ちたのだろうか?
特に不思議なのは読書だ。
高校生の頃は、本を一冊読めば内容がかなり残った。
読み終わった後で適当なページを開いても、
「ああ、この辺りを読んだな」という実感があった。
ところが今は違う。
読了後しばらくすると、
「あれ、何が書いてあったっけ?」となることが少なくない。
いや、「お前ボケとるやん!」と結論付けるのは早い(笑)
仕事に支障はない。
バンドで取り組む新しい曲の歌詞も覚えられる。
日常生活にも特に問題はない。
だから記憶力そのものが大きく落ちているとは思わない。
それでも、本の内容だけが妙に頭の中から消えていくような感覚がある。
いや、消えるというより「溶けていく感覚」と言った方が近いかもしれない。
本当に忘れているのだろうか?
でも、本当に忘れているのだろうか。
最近私は、ブログの記事を投稿する前にAIへ読ませている。
論理の矛盾や、過去の記事との整合性を確認するためだ。
すでに20記事ほど書いているが、返ってくる評価はほとんど同じである。
「一貫した世界観が見られる」というものだ。
もちろんAI特有の迎合も多少はあるだろう。
ただ、自分でも同じ感覚はある。
テーマは違っていても、根底にある考え方はそれほど変わっていない。
そして、その文章には直近で読んだ本や最近考えていたことが自然と反映されている。
もし本当に何も残っていないのであれば、こうはならない気もする。
思い出そうとしても取り出せない。
それなのに、何かを考えたり書いたりすると影響だけは現れる。
なんとも不思議な話である。
知識の扱い方
考えてみると、知識の扱い方そのものが変わったのかもしれない。
以前は本を読むたびに、頭の中の本棚へ一冊ずつ並べているような感覚があった。
どの本に何が書いてあったか。
どの理論がどの話だったか。
比較的簡単に取り出すことができた。
だが今は違う。
読んだ内容は過去の経験や他の知識と混ざり合う。
どの本から得た考えなのかも曖昧になる。
出典を辿ろうとしても思い出せないことが多い。
昔の感覚からすると少し不安になる。
知識が散らばってしまっているようにも感じるからだ。
しかし一方で、文章を書けば自分らしい考え方は出てくる。
何かを判断するときにも、それなりの基準は働いている。
そう考えると、知識が消えたのではなく、扱われ方が変わっただけなのかもしれない。
エントロピーが増大しているような感覚
若い頃の学びは、どちらかと言えば整理整頓だった。
本を読み、知識を分類し、本棚へ並べる。
学べば学ぶほど秩序が増していく感覚があった。
ところが今は逆である。
読んだ本は他の経験と混ざり合い、境界が曖昧になる。
どこで読んだのかも思い出せない。
何をきっかけに今の考え方になったのかも分からない。
まるでエントロピーが増大しているような感覚だ。
若い頃なら「整理できていない状態」と感じたかもしれない。
だが、不思議なことに全体としての自分は、以前よりブレなくなっている気もする。
その理由は、まだよく分からない。
老いによる変化なのか。
単なる学び方の変化なのか。
それとも、知識の蓄積とは本来こういうものなのか。
今のところ結論は出ていない。
ただ、最近の自分を観察していると、
学ぶという行為は知識を増やすことだけではなく、
知識の扱い方そのものを変えていくことなのかもしれない。
違和感は残れど不安は少ない
さて、
違和感こそあるものの、今の状態はそれほど悪く受け止めていない。
もちろん、「本の内容が思い出せない」という事実だけを切り取れば、少し不安になる。
だが実際の感覚としては、むしろ逆に近い。
以前のように知識を整理し、保管し、必要な時に取り出そうとしていた頃に比べると、ずいぶん楽なのだ。
読んだ内容を必死に覚えようともしていない。
それなのに、必要な時には何らかの形で考え方の中に現れてくる。
なんとも不思議な感覚である。
だから、「ボケたのか?」という不安よりも、
「なんか、めっちゃ楽だな……大丈夫かこれ?」という感覚の方が近い。
もっとも、それこそが老化というものなのかもしれない。
その辺りは正直まだ分からない。
結論を急がず、もうしばらく今の自分を観察してみようと思う。
