先日、お昼ご飯を食べた後のことだ。
空調の効いた部屋で、直接の関わりが薄い会議にリモート参加していた。
正直、眠かった…
もちろん社会人としては起きているべきだと思う。
会議に参加している以上、話を聞くべきだし、居眠りなど褒められたものではない。
若い頃の私なら、必死に睡魔と戦っていたと思う。
コーヒーを飲み、頬をつねり、何とか意識を保とうとしていた。
実際、その頃はそれなりに耐えていた記憶がある。
しかし最近は少し考え方が変わった。
眠いものは眠いのである。
起きてられないものは起きてられないのである。
吾輩は眠いのである。
そして今回のお話は、そんな眠気から始まった「既読スルー」の話である。
なぜ、眠気の扱いはぞんざい?
もちろん、その場で堂々と寝てしまえという話ではない。
これ以上暴露を続けると私の社会的な立場が危うくなりそうなので、話を逸らす。
私が気になっているのは、眠気そのものではなく、その扱われ方だ。
お腹が減ったら食べる。
喉が渇いたら飲む。
トイレに行きたくなれば、どこかのタイミングで席を立つ。
多少の我慢はあっても、最終的には身体の要求に応える。
ところが睡眠だけは少し様子が違う。
眠くなったらコーヒーを飲む。
眠くなったら気合で乗り切る。
眠くなったら顔を洗う。
つまり通知を消すことには熱心なのに、その通知の原因には案外向き合わない。
在意識からの通知
私は睡眠の専門家ではないので難しいことは分からない。
ただ、睡眠不足による眠気というのは、身体が発している一種の通知なのだと思う。
「そろそろ休ませてください」
そんなメッセージである。
もちろん現実には仕事もある。
運転中や作業中など、今すぐ眠るわけにはいかない場面も多い。
だから一時的にカフェインの力を借りること自体を否定するつもりはない。
問題はその後だ。
その通知に「いつ返信するか」そのタイミングの扱いだ。
空腹なら後で食べる。
トイレなら後で行く。
では睡眠不足の通知はどうだろう?
解決はしてない
お腹が空いたが、今は食べられない。だから時間をずらして食べる。
これは、通知への返信だ。
車を運転中に猛烈な腹痛に襲われたことぐらい、誰でも一度ぐらいあるだろう。
何としても「間に合わせる」という強い意志を抱いたことだろう。
そして、間にあったかどうかは置いておいて、処理は進めたはずだ。
ところが…
睡眠の場合はどうだろう?
気合とカフェインで乗り越えて、その場を無事に乗り切ったことで、処理した気になってはいないだろうか?
世の中には、布団に入った瞬間に意識が飛ぶ人もいる。
よく「寝付きが良くて羨ましい」とも取れるかもしれないが、私はそれを別の角度から見てしまう。
それは本当に快適な睡眠なのだろうか?
あるいは、気絶に近いほど疲労が溜まっているサインなのだろうか。
もちろん人それぞれだし、正解などない。
なぜ、身体から通知が来るのかが大切
五十年ほど身体を使って生きてきて思うことがある。
身体は案外正直だ。
眠い時には眠いと言うし、疲れた時には疲れたと言う。
それをどう扱うかは個人の事情による。
しかし、せめてその通知が届いていることくらいは認識してあげても良いのではないか?
最近そんなことを考える。
別に睡眠を最優先にしろという話ではない。
ただ、身体から届いた通知を、既読にもせずに削除してしまうのは少しもったいない気がするのである。
それは睡眠に限らない。
なぜ身体がその通知を送ってきたのか。
その理由に少しだけ興味を持つことが、自分自身と付き合う第一歩なのかもしれない。
