踊り場

私の職場は3階にある。

3階といっても、工場建屋の3階なので、実質4階かそれ以上の高さがある。

今朝もその階段を昇りながら、ふと思ったことがある。

それは「踊り場」という存在だ。

学校の階段というのは大体途中に踊り場があって、一度進行方向が反転するように作られている。

子供の頃は何とも思わなかったが、よく考えると不思議な存在だ。

だって、効率だけを考えれば「無駄」だよねぇ?

だって、なくてもよくない?

階段は上へ行くための設備なのだから、その途中でわざわざ平らなスペースを作る必要なんてない。

もっと言えば、効率だけを求めるなら梯子の方が優秀だ。最短距離で上へ行ける。

逆に安全だけを求めるなら車椅子用のスロープのようにダラダラとなだらかにすればいい。(めっちゃ長いけど…)

ところが現実には、そのどちらでもない。

人は階段を選び、その途中に「どういうわけだか」踊り場を設ける。

踊り場は安心のためにある?

恐らく踊り場は、安心のために存在している。

例えば長い下り階段がまっすぐ長く伸びていると、それだけで緊張感がある。

東京駅の地下に向かう長いエスカレーターとか、下まで誰もいないと相当な緊張感がある。

あの理屈だ。

一段踏み外せば下まで転がり落ちそうな気がする。

その途中に踊り場があるだけで、

「まぁ、落ちてもあそこまでだな」という妙な安心感が生まれる。

実際に私は、自宅の近くにある「60階段」という場所を思い出す。

文字通り崖沿いに60段の階段がまっすぐ続いている。

上まで登ると眺望は素晴らしく、遠くの山並みや河原沿いの街並みを一望できるお気に入りの場所だ。

ただ、この階段が怖い。

崖沿いに幅の狭い60段が一直線に伸びている。

息子がまだ小学校低学年だった頃、一度ここで転んだことがある。

朝、学校から電話があり、「息子さんが60階段から転がり落ちてしまって!」と聞いた時は肝を冷やした。

幸い擦り傷程度で済んだのだが、後から考えると本当に良かったと思う。

もし、あれが30段+踊り場+30段だったら。

息子を確認するまでの間、少しだけ安心できたのかもしれない。

持ち直せる場所

そして踊り場には、もう一つの役割がある。

休憩である。

年配の方や大きな荷物を持った人にはよく分かるはずだ。

キャリーケースを抱えて階段を登る。

途中の踊り場で一度荷物を持ち直す。

たったそれだけのことなのに随分助かる。

なぜか踊り場でキャリーケースって必ず持ち直しませんか?
せいぜい2~3歩なんだから、そのまま行けばいいのに。

とはいえ、普段は意識しない。

でも確かに助けられている。

人生にも踊り場が必要だ

考えてみると、人生も同じかもしれない。

私たちは常に何かしらの上昇圧力の中で生きている。

「努力しろ」

「継続しろ」

「成長しろ」

「もっと良くしろ」

そんな言葉に囲まれながら階段を登っている。

もちろん、それが悪いわけではない。

だが、踊り場の無い階段をずっと登り続けるのは思っているよりずっと大変だ。

人生だって休みなく進み続けられる人ばかりではない。

疲れた時に少しだけ力を抜ける場所。

呼吸を整える場所。

荷物を持ち直す場所。

そういうものが必要になる。

面白いのは、多くの人がその存在に意識が向いてないことだ。

展望台へ登った人は景色に感動する。

「あぁ、素晴らしい眺めだ」と思う。

でも、その途中にあった階段や踊り場に感謝する人は少ない。

あまりにも自然に存在しているからだ。

誰にも感謝されないその途中に

けれど、その景色を見るには階段が必要だった。

そして、その階段は誰かが作ってくれたわけで。

更に、その階段を登れたのは踊り場があったからかもしれない。

人生も同じだと思う。

結果ばかりが注目される。

成功した人ばかりが見られる。

でも、その道を作ってくれた先人がいる。

その途中には必ず支えてくれた人がいる。

休ませてくれた人がいる。

安心を与えてくれた場所がある。

そういう存在は大抵目立たない。

踊り場と同じで、目的地ではないからだ。

いや、難しいことは置いといて

最近思うんですよね。

こういうのこそ「愛」っていうんじゃないか?って

誰かを先へ進ませるための支え。

疲れた時に呼吸を整えられる場所。

転んでも大丈夫だと思わせてくれる安心感。

誰かに褒められるわけでもない。

感謝されることすら少ない。

それでも、そこにある。

今日も一段ずつ登っている

私は出かけると、わりと意識的に階段を使う。

エスカレーターの横に階段があれば、だいたい階段を選ぶ。

運動にもなるし、何となく好きだからだ。

そして「踊り場」に差しかかると、ふと思う。

普段は意識もしないけれど、自分も随分と色々な踊り場に支えられて生きているんだなぁ~と。
そして、この階段を作ってくれた人…「愛」があるなぁって。

そんなことを思いつつ…今日もまた、ふぅふぅ言いながら職場へ向かう階段を昇っている。