公園のベンチの欠けたペンキ

公園のベンチの塗装が剥がれているのを見ると、 どうしてだか少しだけ胸がざわつく。

明るい日差しの中で、木々は青々と茂り、 春には新芽をつけて、まるで「今年もよろしく」と言っているようだ。

そんな生命力のそばで、人工物であるベンチだけが 時間の経過をそのまま背負っている。

リベットの周りに浮いた錆。 何度も塗り重ねられたペンキの厚み。 そして、ある日ふと剥がれ落ちた欠片。

新品のときは、きっと憂いの影なんてひとつもなかったはずなのに。

風雨にさらされ、誰かの荷物を受け止め、 誰かの休憩を支え続けるうちに、 少しずつ「時間の色」が染み込んでいく。

公園という場の不思議

公園という場所は不思議だ。 自然は成長し、人工物は劣化する。

それなのに、どちらも人の手を必要とする。

木々は手入れをしなければ伸びすぎてしまうし、 ベンチは放置すれば朽ちてしまう。

まったく逆方向のベクトルなのに、 どちらも「人が関わることで保たれている」という点では同じだ。

そして、ふと思うんですよね。

人間もこの公園と同じ構造を抱えているんじゃないか? と。

身体は自然の時間で老いていく。

視力は落ち、回復は遅くなり、 「若いころなら余裕だったのになぁ」と思う場面が増える。

もう最近本気で「〇〇〇ルーペ」とか買ってみようかなと思ってる…

一方で、経験や知識は人工の時間で積み重なっていく。

判断は洗練され、視野は広がり、 人間としての厚みは確かに増していく。

身体は後ろへ下がり、経験は前へ進む。

この“逆方向のベクトル”が、 人間の複雑さであり、面白さであり、 そして、ちょっとした切なさでもある。

成長と劣化

若いころの自分を基準にすれば、 身体は劣化にしか見えない。

でも、十年先の自分を基準にすれば、 「今ならまだできる」と思える。

なんと言っても、「 今日という日は、人生で一番若い日」なのだから。

身体は老いていくけれど、 手入れしながら付き合っていけばいい。

未来の自分のために今日を使えばいい。 老いだって、成長の一部として見ればいい。

公園のベンチの塗装が剥がれているのを見て、 そんなことをぼんやり考えた。

今日も木々は新しい葉を広げているし、 ベンチは今日も誰かの荷物を受け止めている。

どちらも、時間の中で静かに役割を果たしている。

必要なのは日々のお手入れ

私も、上手に生きていきたいなぁと思う。

剥がれたところは手入れしながら

伸びすぎたところは整えながら

今日という一日を、未来の自分のために使いながら。

そんなことを思いつつ、 公園のベンチに腰を下ろして、ひと息ついた。


それにしても…あぁ、腰が痛い(笑)