SFは未来を当てたのだろうか

子供の頃に読んだSF作品には、未来の街や空飛ぶ車、手のひらサイズの通信機や人工知能が描かれていた。

子供の頃見た「バックトゥザフューチャー」の未来は、とっくに過去の話だが、相変わらず車は地面を走ってるし、スケボーにもタイヤがついてる。

でも実際、その一部は現実になっている。

だから時々「昔のSFは未来を予言していた!」とか騒ぎになる。

でも私は、少し違うのではないかと思っている。

SF作家は未来が見えている?

私の意見だが、SFは未来を当てたのではないと思っている。

(いや、中にはそういう人がいるのかもしれないが…直接会ったことないし、話がブレるからここでは無視)

むしろSFが描いた未来を見て、多くの人が「面白そうだ」「できないだろうか?」と考えた結果、現実がそちらへ向かって歩き始めたのではないだろうか。

例えば、今私たちが当たり前のように持っているスマートフォン。

それに近いものは、昔のSF作品の中に何度も登場していた。

しかし、それは未来を見通したというよりも、「こんなものがあったら便利だな」という想像だったはずだ。

そして、その想像を見た誰かが技術者となり、研究者となり、企業を立ち上げ、少しずつ現実へ近づけていった。

未来は予測されたのではなく、作られた。

そんな気がしている。

頭の中の東京タワー

考えてみれば、東京タワーだってそうだ。

東京タワーが建てられる前、その姿は誰かの頭の中にしか存在していなかった。

もちろん本物の鉄骨はまだ無い。

展望台も無いし、夜景も無い。

それでも誰かが構想し、その構想に価値を感じた人たちが集まり、お金が集まり、技術が集まり、やがて現実になった。

最初にあったのは鉄ではなく、想像だったのである。

投資の世界も、どこか似ている。

株価は企業の価値を表していると言われる。

それが、まったくの間違ということも無いだろう。

でも実際には、今この瞬間の価値だけでなく「将来こうなるかもしれない」という期待まで含まれている。

まだ存在していない未来に対して、人々はお金を投じる。

そして資金が集まることで、研究が進み、人材が集まり、本当にその未来へ近づいていくことがある。

不思議な話だ。

だって、宇宙で事業をしようとか、

火星に人を住まわせようとか、つい数十年前なら空想として片付けられていたような話に、実際に大きな資金が集まる。

もちろん、そのすべてが実現するわけではない。

それでも人々は「もしかしたら」を信じてお金を投じるのである。

まぁ、実際そこに期待してなくても自身の資産がロケットに乗って打ち上げられる期待の方が大きいのかもしれないが(笑)

人々が未来を信じることで、その未来が現実に近づいていく。

もちろん、すべてが成功するわけではない。

壮大な構想が消えていくこともある。

期待だけで終わることもある。

それでも人間は「まだ存在しない何か」に惹かれる。

それが便利だからなのか。

豊かになりたいからなのか。

単純に面白そうだからなのか。

理由は人それぞれだろう。

けれど、その積み重ねが社会を動かしてきたことは確かな気がする。

私たちが未来を生み出している

私たちは未来を予測しているようでいて、本当は未来を作っているのかもしれない。

未来予測とは、天気予報のように結果を当てる作業ではなく、「こんな未来があったらいいな」という想像を誰かが受け取り、それを現実へ変えていくリレーのようなものなのかもしれない。

そう考えると、未来はどこか遠くにあるものではない。

今日誰かが抱いた小さな想像の中に、もう既にその種が存在している。

そして、もしかしたら今この瞬間にも、誰かの頭の中だけにある未来が、静かに現実になろうとしているのかもしれない。

そう考えると、人間という生き物は面白い。

現実主義者の顔をしながら、誰も見たことのない未来へ投資し続けているのだから。

そして、その期待は未来を叶えてしまうのだから。

いやぁ…浪漫だなぁ…