ブログを始めて二週間ほどが過ぎた。
お陰様で記事も少しずつ増えている。
最初は、投稿が続けられるの?とか、そもそも今更ブログ?(旧石器?)需要あるん?とか色々と不安だった。
とはいえ、書くこと自体は随分楽になった。
というより、思っていた以上に抵抗がない。
なんなら、殆どエネルギーを使わない…
最近は、ふと思いついたことをササっとドラフトにして、眺めながら少し整える程度で投稿できてしまう。
これが良いことなのか悪いことなのか?
正直、未だによく分からない。
むしろ困るのは、その気軽さだったりする。
「いや、みんなもっと一生懸命に構成とか文脈とか考えてないか?」と思ってしまうのである。
もう少し苦労した方がいいのではないか、もっと深く考えなくていいのだろうか…
そんな気持ちが時々顔を出す。
そんなことを考えていた時、ふと「あること」に気が付いた。
「あれ?」
「これってインデックス投資と同じじゃないか?」と。
不安の正体
私は現在、投資の大半をインデックス運用にしている。
沢山の情報に触れ、色々試した結果、その方法が自分には一番合っていると考えている。
だが、最初からそうだったわけではない。
始めたばかりの頃は不安だった。
本当に積み立てるだけでいいのだろうか?
もっと良い方法があるのではないか?
何もしないという選択は、怠けているだけではないのか?
そんなことばかり考えていた。
今思えば、理由は単純だった。
『成功体験』が無かったのである。
頭では理解していた。
理屈も分かっていた。
だが、自分自身がその結果を見たことは無かった。
だから不安だった。
ブログも同じ
よく考えてみると、ブログも同じなのかもしれない。
今のところ、私の記事はどんどん軽くなっている。
湯気。
湿度。
踊り場。
プランター。
大したテーマではない。
いや、私自身は面白いと思っているのだが、世間一般から見れば実に地味だ。
あきらかに、地味だ。
何かの役に立つ情報かと言われれば、少々怪しい。
いや、かなり怪しい。
しかも、書くのに大して苦労しない。
だから時々思う。
本当にこれで何かが積み上がるのだろうか?と。
だが、その疑問の形が、昔インデックス投資に抱いていた不安とそっくりなのである。
成果が見えない。
結果も分からない。
だから信じきれない。
ただ、それだけなのだ。
積み上がるもの
投資で増えるのは資産だ。
では、ブログで増えるのは何だろう?
読者かもしれない。
記事数かもしれない。
知識かもしれない。
だが最近は、少し違う気もしている。
私の場合、もしかすると積み上がるのは、「観測記録」なのかもしれない。
今日見たもの。
今日気付いたこと。
今日感じた違和感。
それらが少しずつ残っていく。
一つ一つは小さい。
本当に小さい。
だが、それが百個並んだ時、千個並んだ時、そこには何か別のものが生まれる気がしている。
もっとも、これはまだ想像でしかない。
何しろブログを始めて、まだ二週間なのだから。(心配の先取りも、またおかし)
だから続ける
結局のところ、今の私にできることは一つしかない。
淡々と続けることである。
投資もそうだった。
結果を急いでも仕方がない。
結果を急いで、まぁ沢山の授業料を支払ってまいりました(笑)
複利が働くには時間が必要だった。
知識があっても、その「必要」の意味が分かっていなかった。
ブログもきっと似たようなものだろう。
意味があるのか。
価値があるのか。
そんなことは、今の私には分からない。
ただ一つ分かるのは、書くこと自体はそれほど苦ではなくなったということだ。
だったら、もう少し続けてみよう。
そして数年後。
もし何かが積み上がっていたなら、その時に答え合わせをすればいい。
投資と違って気が楽なのは、『暴落』は無さそうだ、ということかな?
いや、これも資産額が大きくなると無視できないのと同じで…
そんな不安を抱きながら、今日もまた記事を書いている。
