『几帳面』という言葉の妙

先日、ある車のウェブカタログを見ていたら、「几帳面」という言葉の語源を知ることになった。

私はてっきり、昔から人の性格を表す言葉だと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

語源となった「几帳(きちょう)」とは、平安時代の貴族の邸宅などで使われていた間仕切りや目隠しのような調度品のこと。

そして「几帳面」とは、その柱に施された面取り加工を指す言葉だったという。

最初に聞いたときは、正直よく分からなかった。

なぜ柱の加工が、人の性格を表す言葉になったのだろう?

そこで実際にその加工の図を見てみた。

すると、なるほどと思った。

是非、気になる方が居たら、ちょっとググって「几帳面 加工」辺りで探してみて欲しい。

画像検索で出てくる“柱の角が一段奥に引っ込んだ加工”のことだ。

その方が、ここから先の話は入って来やすいと思う。

これ、何か意味があるのでしょうか?

一般的な面取りなら、角を少し削って終わりである。

部材が欠けにくくなったり、手を触れた時に安全だったりする実用的な理由がある。

ところが「几帳面」と呼ばれる加工は少し違う。

角を落とすだけではなく、一段奥に引っ込めるような溝が入ってくる。

明らかに手間が増える。

しかも、その加工によって何かが劇的に性能が向上するわけでも…恐らくない。

いや、確かに見た目はよくなりますけど。

失礼を承知で言えば、

「そこまでやる必要があるのか?」と思ってしまうような加工である。

丁寧とは違う几帳面

しかし、色々考えてみると現代の「几帳面」という言葉の意味が急に腑に落ちてくる。

私たちは几帳面な人と聞くと、

「丁寧な人」

「正確な人」

「しっかりした人」

という印象を受ける。

それは間違いではない。

ただ、それだけなら「真面目」や「丁寧」という言葉でもよい。

几帳面という言葉には、どこか別のニュアンスが含まれている。

例えば、「そこまでやらんでもいいのに」という雰囲気だ。

実際、几帳面な人は周囲から信頼されることが多い。

ミスも少ないし、整理整頓も得意だ。

一方で、その丁寧さが過ぎると、周囲には少し『圧力』として働くこともある。

本人にはその気がなくても、「自分もそこまで合わせなければならないのではないか…」と思わせてしまう。

また、合理性だけを考えれば省略できる部分にまで手を掛けることもある。

だから几帳面という言葉には、単なる賞賛だけではなく、少しだけ「面倒くさい」という意味が混ざっている。

良い悪いの話ではない

不思議なことに、それは欠点というわけでもない。

几帳面さがなければ品質は下がる。

しかし几帳面さが強すぎると効率は下がる。

そのどちらも真実だ。

どちらが正しいという話ではなく、良さと難しさの両方を抱えた性質なのだろう。

そう考えると、語源になった加工も同じである。

普通の面取りで十分なのに、さらにひと手間かける。

機能だけを考えれば無駄かもしれない。

しかし、その無駄が美しさになる。

そして、その美しさを見た人は自然と丁寧に扱うようになる。

日本文化という気質

ひょっとすると、日本人は昔からこういうことが好きだったのかもしれない。

必要十分で終わらず、その少し先まで手を掛ける。

合理性だけでは説明できないこだわり。

茶室や組子細工、漆器などにも似たような空気を感じる。

今では「几帳面」と言えば性格を表す言葉になっている。

けれど、その背景には平安時代の職人が刻んだ小さな溝が残っている。

そう思うと、何気なく使っている言葉の中にも、昔の人の美意識や価値観が生き続けているのだなと感じる。

そして私はというと、この語源を知って以来、「几帳面ですね」という言葉を聞くたびに、

褒め言葉なのか、それとも「そこまでやる?」という含みなのか…

以前より少しだけ深読みしてしまう。